FUKUTA CHIEKO's OPINION Vol.2
2839人[i]
これは、2020年の交通事故死者数である。1970年には年間1万6000人を超えていた交通事故死者数は、昨今では3000人を下回るようになった。私たちは、ほとんど無意識のうちに車社会を迎え入れる代償として、交通事故を黙認してきたが、その一方で一件でも減らそうと絶えまぬ努力が行われてきた。
新型コロナウイルスの影響により、観光産業はある時期においては消失した。皆が外出自粛を行い、遠出をする者には冷ややかな視線が向けられたためだ。そして、観光産業が消えた世界に、「観光公害」も「オーバーツーリズム」も起こりえない。今日においてはその話題は、過去の産物のように扱われる。
自動車のない世界で交通事故を訴えるのは奇異だろう。しかし、便利な交通手段を手放せないように、遠出をして非日常を体験する楽しみを知ってしまった人間が今日の制限がなくなった後も観光を自粛するとは思えない。観光は、今も少しずつ、そして今後必ず戻ってくるだろう。
私たちの事業「千恵の遺産」は、観光地の課題である住民と観光客の軋轢の解消を目指しており、それはある意味では交通事故を減らすことに等しい。つまり、観光自体が社会に必要であることを示さねばならない。逆説的にも見えるが、私たちは観光の価値を信じているからこそ、観光地に集う人々が快適に過ごせるように「千恵の遺産」活動に励んでいるのである。
私たちは、観光産業には他の産業とは代えがたい社会的価値を信じている。前置きが長くなったが本章では、観光産業が社会にもたらす価値ついて述べたいと思う。
一般社団法人日本旅行業協会(通称JATA)が、旅のもつ力を5つに整理し述べているため、まずは以下に引用する。[ii]
『旅の力』について、私達は次のような5つの効果・効用を考えています。
〇色々な国や地域の歴史、自然、伝統、芸能、景観、生活などについて学び楽しみつつ、それらの発掘・育成・保存・振興に寄与できる『文化の力』
〇国際あるいは地域間における相互理解、友好の促進を通じ、安全で平和な社会の実現に貢献できる『交流の力』
〇旅行・観光産業の発展による雇用の拡大、地域や国の振興、貧困の削減、環境の整備・保全など、幅広い貢献ができる『経済の力』
〇日常からの離脱による新たな刺激や感動、遊・快・楽・癒しなどを通じ、からだやこころの活力を得、再創造へのエネルギーを充たす『健康の力』
〇旅による自然や人とのふれあいを通し、異文化への理解、やさしさや思いやり、家族の絆を深めるなど、人間形成の機会を広げる『教育の力』
文化、交流、経済、健康、教育の5つ側面から観光の価値を見出している。
観光と言えば、一番に挙がるのは、異文化理解・異文化尊重であろう。国連が「観光は平和へのパスポート」と話したのは、あまりにも有名である。教育の力に関して、自己発見、他者への思いやりを磨く空間としての価値は、Vol.1で述べた。
経済の力に関しては、国連の観光機関であるUNWTO(United Nation World Tourism Organization)の駐日事務所の公式サイト『なぜ観光が重要なのか』にて深く言及されているため、以下に引用する。[iii]
『なぜ観光なのでしょうか?』
今日、観光の取引高は、石油輸出、食料品、あるいは自動車に匹敵、もっというと凌駕しています。観光は国際通商において主要な一角を占めており、それと同時に、多くの発展途上国にとっては主な収入源の一つとなっているのです。(中略)工業化および開発が進んだ国々においてこのように観光がグローバルに広まったことにより、建築から農業や電気通信まで、関連する数々の分野において経済面および雇用面での恩恵が生まれています。観光が経済的な幸福に貢献できるのか、それは、観光によって得られるもののクオリティーや収入によって決まります。(中略)観光に特化した国連組織として、UNWTOでは、中でも発展途上国は持続可能な観光の恩恵を受けるべき立場にあることに目を向け、この実現に向けて活動しています。
観光は、収入面かつ雇用面から、広く重大なポジションにいることがわかるだろう。ここでは主は発展途上国と書いてあるが、先進国を名乗る日本も同じく恩恵を受け、さらなる恩恵を享受すべく働きかけている。以下は、『観光先進国』への新たな国づくりに向けて、平成28年3月30日、『明日の日本を支える観光ビジョン構想会議』(議長:内閣総理大臣)において策定された『明日の日本を支える観光ビジョン』本文からの引用である。[iv]
★訪日外国人旅行者数 2020 年:4000 万人 2030 年:6000 万人
(従来目標:2020 年2000 万人、2030 年3000 万人)
★訪日外国人旅行消費額 2020 年:8兆円 2030 年:15 兆円
(従来目標:2000 万人が訪れる年に4兆円)
★地方部(三大都市圏以外)での外国人延べ宿泊者数
2020 年:7000 万人泊 2030 年:1億 3000 万人泊
★外国人リピーター数 2020 年:2400 万人 2030 年:3600 万人
★日本人国内旅行消費額 2020 年:21 兆円 2030 年:22 兆円
コロナ以前の目標ではあるが、2030年に15兆円+22兆円で37兆円が目標となる。これは、生命保険の業界規模36兆円を超える。[v] 観光は、世界中で、今や存在を否定することができないほどの大きな産業となった。
観光産業は、産業革命後200年の時を超えて、世界中の人々を、物理的にも精神的にも支えるに至った。車社会が訪れ、誰も道を荒らすタイヤで走る車に文句を言わなくなり、競ってタイヤで走る車のためにコンクリート工事をするようになったように、観光もこれからさらなる整備が行われるのだろう。最後に、初心に帰るではないが、本国の観光庁が設置される5年前の平成15年4月24日、小泉純一郎総理(当時)が主宰した観光立国懇談会の『観光立国懇談会報告書』[vi]の「終わりに」を引用したい。観光への期待・希望・可能性を感じることは間違いない。
終わりに
私たちはいま、歴史の大きな転換期を生きている。全身に大きな驚きと喜びと幸せを与えうる二十世紀型・大型の技術・工業製品が乏しくなり、それとともに景気の後退、低迷や先行き不透明感、不安感が全世界に強まりつつある。明日を進歩と発展に生きる時間の観念は、百年ぶりに後退した。
そのような不安な時代に、人は旅をする。それは、かつてのような気晴らし、レクリエーションの旅ではない。生きる知恵と楽しさ、安心と感動を求めての、「ためになる楽しさ」の旅である。そのために、空間感覚を拡げて、風土や文化の異なる全世界の国々や地域を訪れる、大旅行、大交流の時代がやってきた。
したがって、一方では、ジェット機、高速鉄道、ハイウェイなどを駆使しながらも、人は目的地で、徒歩での散策を楽しむ。歩きながら食べ物屋の匂いや味、生活用品・土産物の色や形やデザイン、街並みの美しさなど、「くらしといのち」の知恵と楽しさを味わい、人々の笑顔に安心する。すなわち、単なる名所旧跡ではなく、目耳鼻口手足にとってのいわば「人くさい楽しさと心地よさ」すなわち、地域や国の文化を歩きながら発見し、そこに心底の驚きや感動を覚えようとする。そのような「徒歩の時代」が、二十一世紀である。
その意味で目的地には、歩くための「分かり易さ、美しさ、そして安心」が欲しい。そこには、「人と人、人と自然、人と歴史」のいい調和がなくてはならない。歴史的古都、歴史的建造物を含む地域の整備が求められるとともに、フランスのミシュランのようないいガイドブック、良質のインフォメーションセンター、地図、美しい絵葉書なども不可欠である。
「人くさい楽しさと心地よさ」とともに、これからの旅に求められるのは、「ためになる楽しさ」である。全世界的に「知恵の手づまり」状況にある今日、楽しみながらビジネスチャンスや勉強にもつながる旅がしたいのが、現代人である。産業観光や農業・農村観光が、新たに脚光を浴びつつあるのはそのためである。「住んでよし、訪れてよし」の国づくりに向けて、産官学の連携強化、従来型を脱却した、観光産業の革新と知的レベルの画期的向上が、喫緊の課題として突きつけられている。
明治から百三十余年、戦後から六十年近く経った今日、あらゆる困難を乗り越えて、観光立国を産業立国とともに車の両輪とすべき時がきた。世界の国々、世界の人々に愛され、親しまれる日本となるために、そして私たちの子供や孫たちが幸せに繁栄するために、である。本懇談会報告書の提言が、今後、各省庁間の緊密な協力の下に、アクション・プログラムとして具体化されることを切に望みたい。
[i] 警察庁 「統計表」 アクセス日:2021/4/1 https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/toukeihyo.htmlhttps://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/toukeihyo.html
[ii] 一般社団法人日本旅行業協会 「旅の力について」 アクセス日:2021/4/1 https://www.jata-net.or.jp/about/jata/forth.html
[iii] UNWTO 「なぜ観光が重要なのか」アクセス日:2021/4/1 https://unwto-ap.org/why/
[iv] 観光庁『明日の日本を支える観光ビジョン』 アクセス日: 2021/4/1 https://www.mlit.go.jp/common/001126598.pdf[v] 業界動向「生命保険業界」 アクセス日:2021/4/1 https://gyokai-search.com/3-seimei.html
[vi] 首相官邸 「観光立国懇談会報告書」 アクセス日:2021/4/1 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kanko/kettei/030424/houkoku.html